お楽しみ様です。むらたです。
傾聴で「余計なアドバイスをしない」とは言っていますが、「余計なアドバイスをしてはいけない」と、自らを縛り付けていたりしないでしょうか?
「~してはいけない」に囚われると、リラックス集中に影響しますね。
傾聴者が、クライアント様のお悩みに答えを出すわけでも、解決方法を提示するわけでもないものですが、「できません」ではなく、あえて「しない」のです。
このニュアンスの違いは、大きいと思います。
「できない」から「ただ聴く」というより、「しようと思ったら出来なくはないが、あえて、しない」です。 。
このニュアンスがないと「できないから、ただ、聴くだけなんでしょ?」と観られてしまうかもしれません。
傾聴において、余計なアドバイスをしないのは、何故でしたでしょうか?
もちろん、それをしないことが目的ではありません。
世間では、「聴いてもらうだけで、何になるんだ?」と言う方がおられますが、逆に言えば「アドバイスするだけで、どうにかなるのか?」となります。
ほんわか倶楽部のブログで、私が書いた拙記事「余計なアドバイスをしない理由」はコチラとなります。
私も継続的に読ませていただいている、いわまつ先生のブログ記事も、とても参考になります。
例えば・・・
「仮に、私のほうでお悩みへの答えや解決方法が浮かんだとしても、それは私の答えであり、クライアント様にとって、マッチするかどうかは分かりません」
「下手すると、アドバイスをすることでクライアント様のお時間を奪ってしまうことにもなりかねなく・・・」
・・・ 実際、他社様を使ってこられたクライアント様が、すごく嫌だった、と言う話も、私は、たくさん聴いてきました。
傾聴者の主観からアドバイスをすることで「クライアント様ご自身の自己回復力や、自己成長力のジャマをしてしまうことになりかねません」 、「傾聴においては、誰しもに自己成長力が備わっていると信じてさせていただくものとなります」等々・・・。
表現は様々だと思います。
本投稿のタイトル『目的は、何でしたでしょうか?』の答えとしましては・・・傾聴の目的ですね^^
傾聴に限らず、なんとなくしていることではないのなら、目的を持ってしているものだと思います。
ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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