あなたは煽っていませんか?(車じゃなくて)

↑このタイトル、今、強く問題視されている自動車のあおり運転のこと?

いえいえ、その危険性やしてはいけないことぐらい、皆さま、よくご存知のことと思いますし、ここでは、自動車の運転について触れるものではありません^^

ここでは集客や営業のことについてですが…… つい、煽っていませんか?

もちろん、積極的にアプローチするのは大切ですし自信をお持ちなのは良いと思いますが、たまに巷で積極的を超えて…というか、そりゃ、煽りだろうというアプローチをしている人を見かけることはないでしょうか?

から太郎
煽らないと人が来ないし、申し込みにもならないねん

 

そう感じていて、今そうなっているのですね…。

そのようなのを見かける度に、私の脳内で走る言葉を書き留めてみました。

もし何らかの空回りを感じていて、少し、むなしーなどと感じているとしたら良かったら、何かのヒントがありましたら幸いです。

(今回は煽りがお好みの方向けに、文中で少し煽りを入れています)。

 

では、煽ると離れていくサイレントの声は聴けていますか?

 

煽らないほうが実は、優良顧客になる度合いが強かったという感覚はありますか?

たぶん(勝手に)見込み客を「見切っていて」、優良顧客になる可能性を「見立てて」はいないと思います。

煽らないほうが良い人が寄ってくるという経験や実感がないから、つい煽ってしまうのだと予想します。

もし、煽ったことでクレームを受けた経験があるのなら、後ろ足で蹴飛ばすように思うだけでは勿体ない視点で、あらためて次のことを試してみるのも良いと思います。

試しに、クレームは宝箱の可能性も大きいと見立てて、それらのデータベースから、よくよく真剣に検証されてみても観えてくるものがあるのではないでしょうか。

ですが、その前にダイヤモンドを見つけるための視点・視野が必要で、それらがないと目の前にあっても見つけられないというような、チルチルミチルの青い鳥状態にならないようにしたいものです。

ぬく太郎
あ、幸せは目の前にあったんだ

…と気づけますように…。

 

「見立てる」ということ

 

まず、おおむねは提供する側が見立てた通りに、相手は反射的に流れやすくなったりします。

簡単に言えば、スグに「この人はダメだ」と、この人は優良でないと、どこかで決めつけて思っていたら、そういう反応がやってくる確率が上がるということです。

これは、何でもかんでも優良の可能性があると視ていくなんていう、博愛の意味ではありません^^;

あなたも今までの人生で誰かから、勝手に軽視して決めつけられたことは多少でもありませんでしたか?

そのときに「自分は、そんなもんじゃない。にゃんだ、コンニャロ」と思いませんでしたか^^?

要するに、安易に誰かを見切った気になるのは時期早々ということが少なくない、ということを指しています。

人はだれも自分と違う人間なのは当たり前ですが、自分と違う人間のことは(たとえ、分かるように思えても)そんな簡単に分からなかったりします。

分かったつもりになって簡単に見切ってしまおうとするココロの裏側を、ちゃんと観ましょう。

もし、ご都合主義とか、どこかで相手を道具のようにしか観ていないのでは、延々とそういう関係性しか成り立たないし、そうとしか視えない眼力でしょう。

ココロの眼鏡をかけ替える、パラダイムをシフトすると、もっと楽しくなってくるのではないでしょうか。

 

逆に、この人は美しく優良、かけがえのない大切な貴重なご縁と見立てていけば、そのようになっていく可能性は、ずっと上がっていきます。

この時は「この人は優良かもしれない」ではなく「優良だ」と、自分の意識内で決めてしまうことです。

たとえ、そうならなくたって、自分自身は大人としてココロを尽くしたという、(見直しは必要だとしても)自分への許可は出しやすくなるのではないでしょうか。

 

「ない」ものより、今「ある」ものに目を向ける

 

実際、見立てはとても難しいときもあって、私も見立ての達人でも何でもなく試行錯誤中に過ぎませんが、このような「見立て」は綺麗事ではなくて現実を好転換させていきます。

例えば、小さな茶室でも宇宙空間と見立てているから、なにか特別な空気を感じたりするのでしょう。

それを狭っ苦しくスペースをケチっているなどと見立てたら、窮屈な場所にしか感じないかも知れません。

他にも、この人がミスの多いのはバカなのではなくて、「誰よりも生真面目で一生懸命だから」と見立てると、その特性(強み)を有効に活かす道筋とは何だろうか?と、視点の転換が生まれます。

その視点の転換から、場の在り方のブラッシュアップを考え出すことに繋がっていきます。

それを「あの人は~」と嘲笑したり同情して済ませていると、窮屈なままの場を改善することなく月日が過ぎて、広がりや深みの多様性を魅せることはないわけです。

それに、このような視点はハラスメントっぽいですしね。

何でもハラスメントと言うのも逆ハラでハラスメント・ハラスメントとも言われる時代になりましたが、なぜハラスメントが問題視されることが増えたのか……。

「時代だから~」と思考停止させてしまうより、その意味を、よく考えてみることが大事と思います。

昔はパワハラの中でもたくさん学べるものがあって学んできたと言う人、私も昭和のスパルタは受けてきて、それで得られたものもありますし、まぁ、気持ちは分からないでもありません。

ですが、それを自慢気に言ってしまうことは、どんなに繕っても肯定化していることです。

それは時代の変化の意味を、どこか視ようしないワガママな心理が見え隠れしていないでしょうか。

そのようなブラッシュアップの弱い言動には驕りと、年齢による凝り固まりを、多少なりとも感じられてしまいかねないと推測されます。

そんなことを一切、振りかざさずに場を柔軟に変えていけば、誰よりも生真面目で一生懸命な人も、そこが活かされて、とんでもない優良なエンパワーメントになるポテンシャルもあったかもしれませんね……。

「ない」と軽く決めつけられたばかりに、その場では「ない」で終わってしまうという…。

「ない」ものではなく、今「ある」ものに目を向けて活きませんか^^?

 

日本人は○○民族

 

日本ではマーケティング手法は、米国で主流になったものが3年遅れて入ってくると言われています。

営業手法でも、類似の流れがあるのではないでしょうか。

アメリカ発であれ何であれ、常に移り変わる手法を知っていくのも大切だと思います。

しかし、それ以前に私たちは日本人なわけで、ここでは日本人向けに事業を展開されている方を想定して記します。

日本人は、元々の根幹は農耕民族ですね。

貴族階級や武士階級などがあった時代もありますが、それ以前に遡れば農耕で成り立ってきた民族であり、国民性だったわけです。

狩猟もしていたとはいえ、それだけでは飢えることになり、狩猟より農耕のほうがベースであったろうと考えられます。

反面、アメリカは新天地を発見したなどと言ってインディアンを迫害して建国が始まり、今日に至るまで支配性の傾向が強く感じられる国ではないでしょうか?

日本人のように、元々は「和」を重んじる国民性とは違いがあると私は思うところです。

まぁ、ここで歴史や民族性・国民性の深掘りは本題ではないので、サラッと、これぐらいにします。

言いたいことは、民族的に根幹にある習性は時代が変わろうと、天と地が入れ替わるほど大きく変わることはなく、遺伝子レベルで根っこにあると考えられるということです。

つまり、日本人は日本人やねん!ということですし、手法云々の前に根幹を観ないとズレていくと、私は起業当初から実感してきました^^

 

サイレント・ボイスに宝物が?!

 

ここで記したい目的は、集客や営業で煽らないと乗ってこない人ばかりを追い求めてていいのだろうか?ということです。

煽ると一番の優良顧客になる見込みがあった人が離れていっているのではないだろうか?、そのサイレント・ボイスに宝物があったのではないか?ということです。

本当、人っていうのは簡単には分からないなぁ~と、私は実感しているところです。

煽って乗ってくる人は分かりやすいし早いですが、もしかしたら、ちょっとしたキッカケで移り気で飽きられやすい性質も強いかもしれません。

もちろん、内容や関係性によって変動しますので、このブログ記事で不特定多数に向けて一概には決めつけられませんが、そのような瞬間最大風速であったことに後で気が付く事業者も、案外多かったりします。

(個別に案件の内容やアプローチ方法を吟味しながらですと、細部に至るまで具体的に触れていくことが出来ます)。

ただ言えるのは、スグに反応が来ないと焦るかもしれませんし、反応が早いほうに視点が流れてしまいやすいかもしれませんが、じっと堪えることも大事ですよ^^

じっと堪えて、根っこにあるのって何だろうなぁ~と観ていかないと、枝葉に囚われていたら…ですよね。

砂上の楼閣の土台は、手からこぼれ落ちる砂で創られています。

 

日本人向けにカスタマイズ

 

いずれにしても、日本人は農耕民族であるということを踏まえて、狩猟型マーケティングではなく農耕型マーケティングで展開したほうが合っています。

そのほうが地盤が強くなり、気づきや発見も多くなります。

米国からマーケティング手法を参考に取り入れるにしても、狩猟型から農耕型にシフトチェンジして日本人向けにカスタマイズする必要が付いて回るということだけは覚えておいていただければ幸いです。

……「コーディネートは、こぅでねぇと」というところでしょうか(^^)

※ なお、農耕型マーケティングにシフトするというのは、なんとなく勘でするのではなくて、相応の体系化されたスキームがあります。

 

自分だけノリノリで煽って、知らず知らずに冷ややかな目で視られてサイレントに離れていく人たちの中にダイヤモンドがいるかも……という視点を、真剣に検証していくと観えてくるものがあるかもしれませんね。

人はコトバよりも、そのコトバの裏にあるあなたの背中(非言語:ノンバーバル)を視ます。

あなたがすることは目先を追うだけではなくて、社会背景を反映させた理念に基づいたミッションやビジョンを追うことのほうが先ですよね^^

そうして社会に役立っていきたい強い想いがあるはずなのに、目先ばかり追っていると、いつまでも目先ばかりを追い続けるラットレースになります。

なぜなら、目先ばかりにウェイトを置いて観ている引力を出しているから、当然のごとく目先のことばかりがやってくるからです。

もし、そうなっていたとしましたら、それはそれでノンバーバルに乗っかるでしょう。

たとえ視えていない・聴こえていないと思っても、障子に目あり、ふすまに耳あり、です。

自動車の煽り運転でしたら、ドライブレコーダーが付いていないだろうなんて…タカを括っていませんか?ということです。

それ以前に煽るんじゃないよ、ですけどね。

 

易きに流れていないか?

 

集客とは大切になる方との、かけがえのない「ご縁づくり」であり、その根幹にはシェアでGIVEするマインドが大事です。

間違っても、他者からお金を吸い上げるような略奪行為ではありませんし、逆に奴隷のように自己犠牲をして奉仕する行動でもない、対等な関係性です。

仮に、慢心して易きに流れてしまうと、それは相手の価値を舐めるだけではなく、関わる自分自身の価値をも軽視していることになるそうです。

ご通読いただき、ありがとうございました^^

 

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