もし仮に、傾聴サービスの実施後、以下のようになったとしたら・・・?
(傾聴クライアント様):
「思うまま話せて吐き出せて、その時は、さっぱりしたような気がしました。
・・・ だけど、後になって、なんだか後悔していると言いますか、後味が悪くなった感じがします。
聴いてもらえたのは嬉しかったのですが、なんだか言わなければよかったな・・・と。。。」
仮に後日に、このようにクライアント様に言われたとします。
さて、この要因は、どこにあると思うでしょうか?
今回のトピックはワーク形式にします。
お手元にメモ用紙とペンをご用意いただき、書いてみていただけますでしょうか?
その内容を、最下部のコメント欄に入力していただけますでしょうか?
それでは、シンキング・タイム(考えるお時間)です。
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これは、クライアント様に実感を持っていただけるように、心で支えるように聴けていなかった、ということが言えます。
クライアント様としては、本当に受け止めてもらえたという実感が薄かった、ということになります。
どこか刹那的になった、とも言えるかもしれません。
これでは、自己肯定感を得ていただけることには繋がりませんね。
問題を整理・客観視するどころか、問題を増やしてしまっていることになります。
(あぁ、自分は言わなければ良いことを、他人に聴いてもらって楽になろうとしていたんだ。。。 情けないんだ。。。)
この心境からは、自分自身で腑に落ちる方向性を、自らの中から見い出す、自分らしく・・・ということを、邪魔してしまうことにもなりかねません。
つまり、形だけ傾聴っぽくなっていたら良いということではありません。
そんな簡単なことでは「受け止められた」という、心から良かったと思える実感が伴うはずもありません。
傾聴者が質問で、傾聴者の都合の良いように誘導をかけても、それは「傾聴」ですらありません。
相づち1つでも、傾聴中の反応する言葉に、どんな気持ちを乗せているか?が、本当に大事です。

ネイティブ・アメリカンの有名な言葉からー
「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。だから、あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい」
少しでも、このように生きたいね^^
~ 親愛なる娘へ
きみが生まれてきてくれた時のこと、思い出さない日は本当にないよ。
涙が出て止まらなかった、あの時…。
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