解放のための気付きへのらせん階段

現在、心の孤立化状態におられる方に向けて、本当に微力ながらも拙書(電子出版)を出すための準備を少しずつ進めております。

これは、傾聴サービスのほんわか倶楽部で「傾聴」を申し込んでみたいが、その前段階が長かったという方々のお話を聴かせていただいた機会の際にも、そのヒントの元を感じました。

どこまで、お役に立つかどうかは分かりませんが、ほんの少しでも心のデトックスや、小さな一歩先を、自分にマッチした方向で見い出すためのお手伝いになれればという想いです。

 

こんな辛さを味わっている私は、おかしい?

誰も実感できないこと? 恥ずかしいこと?

……と感じて、どうにもならないような孤立感に陥っている方に向けて、様々な方の本音を観続けた視点から、少しずつ綴っています。

このように書くと、なんだか誤解されそうな気も少しするのですが……

 

「辛かったんだね。でもね、もっと辛い人もいるのよ」

……などの他人事目線の愚にもつかない表現をしようとは、露ほども思っていません。

もっと辛い人もいるから、あなたも負けずに頑張りなさいという意味なのはわかりますが、私はこのような言葉に対しては以下のようなことも感じて、内心で(ふざけるな)と思ってしまいます。

 

「あの人も頑張っているから、私も頑張ろう」と、スッと思える状態ならまだしも、そうでない時も状態によりあるわけです。

ところが、そこを見定めもできないまま安易に使ってくる人は、巷どこかしこに存在して、それはそれで、その人のご自由でしょう。

ですが安直に見ようとどうだろうと、一人の人間の痛切な苦しみは、人と比べて、どうこうと考えられる世界ではない場合があります。

苦しみの尺度? それは人によって計り知れません。

または、人と比べて自分はマシなんて思っての言葉でしたら、これは、その誰かを小馬鹿にした、とても失礼な話です。

 

「死ぬこと以外、かすり傷」の裏腹 → この章は別ページにして内部リンクさせる

 

一見、他人からはかすり傷のように見えても、本人には致命傷の場合もあります。

それを、他人がかすり傷と言っては短絡思考だと私は推察しています。

「死ぬこと以外、かすり傷」は、励ます時に有名な言葉かもしれませんが、私はこの言葉は自分に言うことはあっても、むやみに他人には使いたくない・使えない言葉に感じています。

シチュエーションや関係性によっては使えることもあるかもしれませんが、ご利用は慎重に、と思います。

利用用途を誤れば地雷になりかねません。

 

今! ここにいる自分の複雑骨折と呼吸困難!

その最中に「辛いんだね。でもね、もっと辛い人もいるのよ」

だから何?となって閉口してしまう時もあります。

 

それが観えていない人は後述するようなポジティブ・ハラスメント(ポジハラ)を、平気でしてくることがあります。

この言葉に耳を傾けるほど、反発しにくい善意のナイフに無残に抉られてしまいます。

大型台風が直撃した後のようなカオスな状態の真っ只中には、全くもって無意味な言葉どころか、苦しいというSOSすら否定している余計な態度です。

私が思うのはそんなおためごまかしの上から目線ではなく、一人の当事者として共に苦しみ、共に支え合うための言語化です。

他人事ではなく、自分事としてのカミングアウトでもあり、辛さの正体を知る旅でもあります。

今も、その旅の途中ですが、他の当事者の人たちの言葉からも、私の心に響いてくるものは多種多様にあり、それは増え続けています。

 

ポジティブ・ハラスメント(ポジハラ)は、私は大キライ

 

ポジティブ・ハラスメント(ポジハラ)のような、下手な自己満足的なアドバイスや励ましをキラキラばら撒いているような内容ではありません。

例えるならポジハラは、足を複雑骨折しているのに「足腰を強くするためにマラソンしよう」と言っているような無茶ぶりだと、私は考えます。

高熱を出しているのに、「寒風摩擦しよう」と言っているようなものは強引すぎる押し付けです。

それでは、かえって悪化する一方です。

身体の状態なら目に観えて手に触れて分かりやすいことも多いでしょうが、心の状態は他人からはパッと見には観えにくいということは、多くあります。

観えにくいどころか、分からないということのほうが多いように思えます。

 

それなのに

「そんな弱いの、あなただけよ。甘えて言い訳してるんじゃないよ」

などの無理解でザンコクなナイフ言葉を突き刺してこられることも、人間関係によっては往々にしてあると思います。

私自身もそうでしたが、どうにもならないぐらいの孤立感や辛い状態の最中では、まずフラットな状態に少しずつでも近づけるようにするのが、生存本能的に最優先です。

足の骨を折っているのにマラソントレーニングや、高熱を出しているのに寒風摩擦で訓練させるのは、後の話でしかありません。

 

解毒してリハビリして心をフラットに落ち着かせるのが最優先なのですが、それが悠久の闇に落とされたかのように、とてもとても困難で幻のように思えてしまったりします。

元々、自分でフラットと思っていたかつての状態が、哀しいことに思い込みの幻想だったということもあります。

その時は、信じていた拠り所が足元からガラガラと崩れる音が聞こえるかのようです。

その崩れた瓦礫が、さらに心身を痛めつけて二次被害・三次被害を出して、傷は、痛みは増す一方な時もあるかもしれません。

それを身近な人に相談してみても、人は災害に遭うまで、なかなか当事者意識も肌感覚も持てなかったりします。

それなのに、安易な励ましをしてポジティブ・ハラスメント(ポジハラ)をしてしまうことだってあります。

 

頑張るも何も、脱水症状を起こしているなら、水を飲まなければなりません。

徐々に消化の良い食料も摂らなければなりません。

高熱が出ているなら、栄養を摂って、ゆっくり安静にして解熱・解毒するのが先です。

複雑骨折したら松葉杖も必要ですし、骨がくっついた後でもリハビリが重要です。

なのに、それを盲目的に「甘え」などと言われたら、たまったものではなく悪化させてしまいます。

 

身近な人たちは普通に暮らしているように見えるのに、被災して避難所に行っているのは、私だけ? 甘えてる?ではありません。

私も散々、そのように思わせられていましたが、それは限られた世界で知らず知らず思い込まされているだけです。

今以上、自分を追い詰めないためであり、他人に甘えなどと言われて良いものではありません。

心が深い穴に陥っている時に、他人から無残に言われて、心の中で処理する言語化が追いつかなかったりするのも無理はありません。

それほどの状況や状態が続くほどに、心も思考もキャパを超えてオーバーヒートしてしまいます。

どうにかしたいと思っていても抉られるほどに余計に悪化して、また責められるという訳のわからない堂々巡りのスパイラル。

 

そこで、こんな正論めいた励ましを言われても……

「止まない雨はない」

「抜けられないトンネルはない」

「だから前を向いて頑張れ」

 

この手の言葉を受ける度、善意で言ってくれているのは感じるのですが、何も分かっていないな、奥のほうでは受け入れられていないな、と、私自身、多々、感じてきました。

励まして自己満足したい方には恐縮ですが、他の当事者たちの言葉も鑑みて私なりに表現してみます。

 

「止まない雨はない」

→ 今、豪雨と洪水の真っ最中で、そんなことを言っている場合ではない。

呑気にしてたら津波が来るよ。

 

「抜けられないトンネルはない」

→ そのトンネルが地盤崩壊して押し込められているいるんだよ。

真っ暗闇で、どこに抜け道が? 酸素が薄くて息苦しいよ。

 

「だから、前を向いて頑張れ」

→ 持ち上げられない瓦礫に閉じ込められていて、光も観えず「前」が観えないんだよ。

 

いずれも一言で言えば「そんな場合ではない」ということですね。

まず、現状を把握するのが先なのは明白です。

これらが現実の心の中で起こることもあるわけですが、物理的な震災のように目に見えて分かるものではありません。

心の視力に、大きく左右されます。

心の視力が敏感な人もいれば、鈍感な人、曇っている人、盲目に近い人もいます。

 

心を押し込めている瓦礫を外し、酸素を入れる

 

様々な敏感な方の本音の言葉を観続けていくほど、痛切なのに周囲からは理解されずにおられる方は多いのだと感じます。

同時に、そのような中で想いの「言語化」を、少しでも少しでも求めてしていくことが、とても大事だと感じました。

それは、私が私を生きるために。あなたがあなたを生きていただくために。

たとえ、少しずつでも……。

 

私自身の経験だけでなく様々な方の視点から影響を受けて、それでも、私なりの言葉でしか言語化・表現化はできません。

借り物の受け売り言葉は、心を蝕みますから、もう使いたくないと思っています。

 

自分だけと思い込んでいた(思い込まされていた)ものが自分だけではないんだ、と知ったときの少しの安心感。

全く同じということはなくとも類似したものがあると感じられることは、私には「孤立感」をじわじわと緩和させられるような気づきでした。

仲間とすら呼べない対面はしていない言葉の世界です。

バーチャル(疑似)のように思えるかもしれませんが、地理的には離れていても、知らない誰かでも、その人それぞれの痛みから出たリアルな言葉から得られるものは、沢山あります。

私も誰かに(自分だけではないんだ)と、今、準備中の拙書で、ほんの少しでも寄り添えたらと思っています。

あなた自身の「答え」や「方向性」は、あなた自身の内から見出していくものですので、それらを示そうなどというハウツー本でもありません。

 

それが何になるんだ

そう言ってしまえば、それまでかもしれませんが、あの複雑怪奇なしんどさは自分だけではないんだと知ることから、例え、間接的であっても孤立感の緩和のお手伝いになれば幸いです。

 

心の状態が現実を創り出して、心の状態が現実を変容させます。

せめて、自らの範囲3センチぐらいは、自らのいる場所ぐらいは自らで……。

悟りを開いた人でもなければ誰も人を救ったりできず、もし万が一でも「私が助けてあげる」的に近寄ってくる人がいたものなら、私は得体の知れない気持ち悪さを感じてフェードアウトしてしまいます。

自分を支えて助けるのは、最終的には自分だと私は思いますし、甘い言葉の裏に潜んでいる人のエゴは厄介なもので、二度と巻き込まれたくないと痛感してきました。

 

心情的にでも孤立感を緩和させることは、少しずつ、今の自分の状態を見渡せる(客観視)できるようになっていくことにも繋がります。

見渡せる(客観視)できるようになっていくとは、自らの状態を冷静に観ることが出来るようになっていくということです。

冷静に観れるようになっていくほどに、心を解放させるための気付きへ近づいていけます。

そのためにキレイゴトばかりも書いていません、と言いますか、表面だけ取り繕ったかのようなキレイゴトは、内心で自らを蔑んだり否定してしまうことに繋がってしまいます。

ドロドロしたことも否定せず、その中から見い出した灯りこそが

真っ暗闇の海を漂っている難破船にいながら、うっすらと見え始めて次第に大きく観えてくる灯台の光のような、そんな光のイメージが私の後頭部には常にあります。

それが私を支えて、あのとき踏みとどまらせてくれたのだとも実感します。

 

カウンセラー先生が書くような専門用語・業界用語を多用することもなく、できる限り一般的な言葉を用いるように心がけています。

この専門用語をできる限り使わないように趣向を凝らすというのは、どの分野のものを書くにしても、私の起業時からの方針の1つです。

なお、私が述べている「傾聴」とは、コーチングや提案型のカウンセリングで使われるような浅かったり、恣意的な誘導色が強いものではありません。

カール・ロジャースが提唱した来談者中心療法の視点

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