無自覚の時間泥棒にならないために

ー 前回の記事(以下)の続編です。

インプットしたこと、学んできたことを伝える側の姿勢やあり方について考えてみております。

 

虚勢やハッタリは見透かされる

 

虚勢やハッタリは、自分がそう思っていないだけで相手には見透かされると言いますよね。

どこかで必ず、無理が出て、ほころびが出るのではないでしょうか?

稀代の詐欺師でもなければ・・・。

 

例えば、目が泳ぐことが多くないか? 表情が引きつっていないか? 声が・・・等々、言葉のテクニックだけではカバーできないサインは、たくさんあります。

このような諸々のかもし出されるサインから、発する者が思う以上に受け手は感じ取ると思っていたほうが良いのではないか、と・・・。

 

何かを教える的な立場で伝えようとする際に・・・

 自らが徹底して実践して骨身に染みたこと

 まだ見習い・新人レベルのこと

・・・ 比べてみると、どうなのでしょうか?

 

これは、かもしだすものからして違いますね。

当然、リアリティが大きく違い、おのずと説得力が違います。

本物なら、小手先のテクニックなどに依存する必要もありません。

伝えるテクニックは使ったとしても、それは「虚勢やハッタリ」のためではありません。

より真っ直ぐに伝わるようにという、「心づくし」です。

 

 ここでの「虚勢やハッタリ」は誰のためですか?

資格のない自己弁護士、言い訳の達人になっていないか、どうか?ですね。

 ここでの「心づくし」は誰のためですか?

相手のことを、敬意を持って考えたほうが気持ちよく進められると、私は思うところです。

 

無自覚の時間泥棒

 

「嘘つきは泥棒の始まり」とも言われますが、虚勢やハッタリなどもウソの一種と考えたら、繋がってくるということなのかもしれません。

 

アウトプットするにしても、受け手を巻き込んでいる以上、他者の時間を使わせていただくものとなります。

SNSやブログ、WEBサイト、インターネットの掲示板などでしたら、法律などの違反をしない範囲で「表現の自由」というものもあります。

実に様々な表現がされていますが、気に入らなければ、スグに他に行けます。

ですが、例えば、セミナー・講座、勉強会やセッション、コンサルティングなど、一定時間の拘束が伴うものの場合は、よほどでなければ中座しにくいものです。

 

個別メールで事務連絡以上に何かを伝えたい場合も、読む価値・返信する価値のあるものを送れているかどうか?です。

これらが結果として時間泥棒になってしまったら、なってしまうほどに相手の心は離れると想像されます。

 

極たまに、相手が充分わかりきっていることを、喜々として、もっともらしく教えようとする不思議なケースを見かけます。

「なぜ、この程度のことを相手が知らない、分かっていないと思ったのか? 謎」という不思議なメールです。

もちろん、送った本人には悪気はありません。

 

その相手も、それが見ず知らずのセールスメールなら無視できます。

メールマガジンでもスルーできたとします。

それが、個別コミュニケーションのある知人ですと、相手もそうはいきません。

内容が「私はこう思っています」程度なら、まだ良いかもしれません。

相手に関することを「○○なのです。○○で良いのです。そういうものです」と、なぜか断定して決めつけられて個別に送られてくると、とても押し付けがましく過干渉に感じられるものです。

善意が行き過ぎてしまった場合とでも言うのでしょうか?

それが関係上、読んであげないといけなくて、気を使って返信もしてあげないとならなかったら、受け手のほうは、忙しい最中に、とても苦痛でストレスにしかなりません。

 

このように、つい出過ぎたことになってしまうと、そのマイナス印象は強く残ることにもなりかねません。

ズバッと指摘することを避けるタイプの人もおります。

言いづらいことでも、ワザワザ言わなければならない、というのも関係性によります。

もし、送り手として、そのことに気がつけないままでしたら、どうなるのでしょうか?

そのためには、よくよくお相手の背景と反応の仕方、相手軸を観ることが大切です。

 

時間泥棒にはならないための最低ラインがあると、私は考えます。

自己承認欲求を満たすために、軽い気持ちで他者の時間を利用するようなことになっていないか?の、自己チェックも肝要だと思います。

私は起業当初、他者のそのようなエゴにキャッシュだけではなく、時間や集中力も吸い取られてきたと、だいぶん、後になって気が付きました。

その後は、敏感に察知できる度合いが高まったような・・・気がします。

 

本当に相手のために出来るかどうか、というのは、生半可なことではないと思います。

私がそれをどこまで出来るかと問われれば、まだまだ学んでいる最中ですが、追い続けていきたく考えます。

 

そこまで考えなくても大丈夫ちゃう? 

気軽に見切り発車でもエエやん~(笑)思い切りも大事!

はい。大丈夫な場合もあります。

本当に気心の知れた親しい友達や仲間なら。練習させてください、ですね。

はい。浅く見られる場合もあります。

友だちでない方に向けての場合は? どちらが人数が多い?

このようにお相手や関係性によりますし、その方々のリテラシーにもよりますね。

 

同じことを同じように言っていても、響かせられる人・響かせられない人の違いは、「あり方」にあるのではないでしょうか?

「どんなに上手に表現していても、なぜか響かない」という場合は、この落とし穴にハマっているケースが見受けられます。

 

(9月7日・10時30分前後に公開)

 

本記事とは関係がないかもしれませんが、ここまで書いていて、ミヒャエル エンデ ・著の『モモ ~ 時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語』( 翻訳・大島 かおり)を思い出しました^^

大人が読んでも、しみじみ考えさせられる内容です^^

 

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