「仏造って魂入れず」でもありませんが

「仏造って魂入れず」でもありませんが、『知っている・ワカル・デキル・教えられる』は、それぞれ、結構な違いがあると感じます。 

私自身は、元々している集客支援でもそうですが、それらのスキルやノウハウは、最初から、他人様に教えるため、ではなく、自分自身のリアル事業で必要であったから、でした。

それらを、徹底的に実践して身に付けて、そこで実績が上がってから、初めて、他人様のご支援をさせていただくようになりました。 

(と言うより、自然発生的にご相談や支援を求められました)。 

座学も大事ですが、座学だけでリアルに使えるのでしょうか? 

本来のご支援というのは、実地でのリアルな実感があって、少しだけ出来ることだと思うのは、私だけでしょうか? 

例えば「先生になりたいから資格を取る」だと、先生になることが目的になってしまっています。

それより、「先生になって、○○をしたいから資格を取る」というのがあるでしょうが、この○○が自己満足を満たしたいだけなのか?、本当に少しでもリアルにお役に立ちたいからなのか、では、大きな違いがありますね。

知っている・ワカル・デキル・教えられる

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA


新着ニュースレター(無料)

Topix

  1. 「フェイク・ポジティブ・ハラスメント」(造語)

  2. 「下手な考え、休むに似たり」のように言われたとしても

  3. 負の側面ばかりにフォーカスしすぎると……

「言葉の糸」

誰かの 少しずつ紡ぐような
哀しみ 痛みの言葉の糸に触れて

近ければ近いほど

自分だけ特殊ではないんだ

異常なんかじゃないんだ

辛いと感じているのは

間違っていなかったんだ

ズレていなかったんだ

そう 一人でも感じてもらえたら

未熟な私が 未熟なまま 紡ぐ言葉

話し相手(傾聴)サービスのほんわか倶楽部でストレス解消

新着ニュースレター(無料)

TOP