寄り添うまで

「傾聴とは寄り添うまで」で、「どうにかしてあげよう」等の姿勢で行なうものではないと思います。

傾聴する側としては、「救う」・「助けてあげる」・「支えてあげる」ではありません。

心理カウンセラー資格を持っていても、ほんわか倶楽部では「先生」と呼ぶことはありません。

いずれにしましても、もし「救う」などとなったとしたら、それは、おこがましいとなってしまいます。

下手すると、上から目線のニュアンスも感じられてしまうのではないでしょうか?

「傾聴」は本来、そのようなものではないと思います。

「受け止める」・「寄り添う」・「お手伝い」までではないでしょうか?

クライアント様の人生の一部でも私たちに背負うことはできませんし、背負おうと思うことでもありません。

傾聴の時間、心を寄せて伴走はできますが「助けてあげよう」は、傾聴ではないと思います。

傾聴とは、立場の違う人間が「共感」の姿勢で行なうものです。

そこには必ず、一線があります。

(一線といっても、柔らかい一線、風船の膜のような、柔らかいものです)。

そもそも「一緒に背負う」でしたら、「共感」ではなく「同感」の姿勢ではないでしょうか?

「同一化」や「同感」の姿勢は、誰に対しても出来ることではないですよね。

簡単に言えば、「同感」に依存するのでしたら、お話全ての内容に対し「私も、そう思います」と、答えないとならなくなるわけです。

それは、不可能だと思います。

もし、例えばですが、誰かを恨んでいるというような話を聴いたとします。

仮に話ししている側が、実行はしないにしても「とてもキツイ報復をしたい」と言うだけ口していたとします。

そのようなことに対し、「私も、そう思います。一緒に背負います」とは、絶対に答えられないわけですね。  

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