「恵まれている」は「恵まれていない」?! 2020.12.23 ココロに想う素 タイトルに付けた「恵まれている」も「恵まれていない」も、シンプル化させ過ぎで二極的な書き方だなとは思うけれど、まずは分かりやすく進めてみる。「恵まれている」から、屈託なく明るく過ごせるという面もあれば、「恵まれている」から視えていないことや感じられないこともあるだろう。「恵まれていない」から
タイムリーにまみれ、不機嫌にまみれぬように 2020.12.21 ココロに想う素 ここでは「フロー」を「ご機嫌でパフォーマンスの高さを持続できている状態」、「ノンフロー」を「不機嫌でパフォーマンスは低く、囚われて揺らいでいる状態」として記します。例えば、終電も近い時間帯に降りるはずの駅を、つい乗り過ごしてしまったとします。いつもならしないはずのミスを、ついスマホのメールに
常識の枠に囚われない・揺らがない。セルフ・タイムマネジメント。 2020.12.20 ココロに想う素 自分にとって、ベストの時間の使い方とは、どのような時間の使い方ですか?たとえ、それが世間一般、マジョリティ(過半数・大多数)の時間の使い方とは違っていたとしても、自分の可能性を良い意味で、もっとも発揮しやすい流れのほうが大事ではないでしょうか?ここでマジョリティなのか、マイノリティ(少数派)
「仕組み創り」も「表現」 2020.12.19 ココロに想う素 よくビジネスでは「仕組みを創ることが大事だ」と言われますね。そうしないと、いつまでも一人ビジネスの枠を出ることがなく限界の天井が近くて、自ずと出来ることも限られてくるからですね。もちろん、私も一人ビジネスは好きですし、長年、そうしてきていますが、同時に天井が近いということも、ほとんど常に実感
フレームワークは、とても大事、だけど 2020.12.18 ココロに想う素 何かを形に為したい時、全くゼロから推敲するのとフレームワークを使って行なうのとでは、そのスピードがかなり違ってくる。それも、そのフレームワークが机上の空論のものではなく、様々なタイプの人間に合わせて再現可能であれば、その効力は発揮しやすい。例えば、起業したい、それもオリジナルのサービスで、と
金銭的な成功=人生の成功?! 2020.12.16 心地よい風を求めて 私は一応、起業家として生きてきたのは、1999年からだから、それなりに長くなっているほうだと周囲から言われることがあるし、自分でもそうだなぁ~と思うところもある。そんな自分の変遷も踏まえながら、ときにふと思い出すけれど、多少、うまく行ったぐらいで偉そうな感覚になっていた時期もあったなぁ…というこ
我欲ノットイコール 2020.12.12 ココロに想う素 ここ最近、読みやすさより、自分が頭に浮かんだままを書き綴るばかりの吐き出しを、ウォーミングアップと内心で呼んでしているな、と感じる私です。・・・誰もが、それぞれの心に望む自分や望む状態があって、そこに向かいたい欲求・願望などがあるから、葛藤も生じます。葛藤から逃れるために「足るを知る」(
外的より内的 2020.12.04 ココロに想う素 上記のアイキャッチ画像には、ピンク・グリーン・イエロー・レッド・ホワイト・パープルなど様々なカラーの花々がキレイに生えている横に、ふさふさした木々が立ち並び、心地よさそうな雲が浮かんだ晴れた空の写真を採用してみました。これは人それぞれのカラーがあるということや、成長の仕方も違いがあるということ、
諦めたいと思っても、諦められないものを 2020.11.20 ココロに想う素 実に久しぶりにブログを書いたからか、なんとも分かりにくだろう文章になりました。どこか肩に力が入っていたりするのかもしれませんが、ウォーミングアップのつもりで残しておきます。「諦めない」のは「感情の整理」をしてから。あなたには、諦めたいと思っても諦めきれないものはありますか
Growth… 2020.02.20 ココロに想う素 最近は、自社の通常業務量の調整を継続させながらも、新しい取り組みへの動きが進められてきていて、それなりに爽やかさも感じられるような、そんな気持ちもする。自社としての新規アクションに向けての復習やイメトレ、WEBサイト構想・集客案や企画、具現化へのフェーズも、一気にではないが進められている。あ
三日坊主を乗り切るセッティング 2020.02.10 ココロに想う素 自分の人生を、自分で創り出したいと願っているのに、三日坊主になりやすいような人に私なりに思うことがある。今回は、自己啓発系の感覚で書いたのでシビアに感じられるかもしれない。本気・真摯な方に向けてだけ記すので、口先のノリだけの見かけ倒しの人は、おそれいるが回れ右していただきたい。 
泥水は受け止めるけれど、増やすためではない。 2019.10.17 ココロに想う素 人をコケ落としたり、茶化したり、しまいには恫喝したり、いずれのルサンチマンでも、それ自体がモノゴトの改善になるというより、しこりを創るほうが多いのではないか。そもそも、ルサンチマンに囚われている限り、排他性が伴い格が低いとなる。自己調整を怠り、格の低さでモノを語っても、泥水を