「主観」ばかりのケースに感じられるキケン性 2019.09.16 ココロに想う素 「私は、□□に思ったからガー」今回は『「主観」ばかりのケースに感じられるキケン性』として思ってみます。仮に、個々人の主観ばかりを前面に立てて、モノゴトを論じようとするケースがあったとします。「私は、□□に思ったからガー」のケースですね。ところが事実や"方針は□□ではな
30と10と5 2019.09.13 ココロに想う素 目的地は「30のグリーン」例えば、30のグリーンを目指していて、そこに双方一致で同意したとします。双方のスタート地点は、ほぼ同じの5でした。双方が観て30のグリーン地点は、とても素敵に視える目的地でした。深みと広がりのあるグリーンで、嘘偽りなくココロの底から爽やかなそ
目を凝らせば… 大判小判に 家宝まで 2019.09.12 ココロに想う素 あるとき、聴いたストーリー以前に教えてもらったストーリーで、時代背景は昔話ですが実話とのことです。私の記憶が定かではないところもあるのですが、思い出しながら綴ってみます。・・・ある処に、人はとても良いけれど、どうにもズルい人たちに騙されてばかりで、困窮した暮らしをして
「応援」と「期待」と「パラダイム」 2019.09.09 心地よい風を求めて フィードバックは「応援」までのマインド私は仕事柄、誰かの「応援」をさせていただくことは、よくありますが、このことは「期待」とは分けて捉えています。今回は主にこのことに関して、派生させながら色々と綴ってみます。この「応援」のカタチは様々です。遠く陰ながら祈るようなものも
個人としての内的ビジョン?! 2019.09.07 ココロに想う素 個人的に私が目指したいのは、きっと「中庸」の状態なのだろうなぁって、今に始まったことじゃないけど、いつからか思っている。だから、偏っている?かのような風潮や傾向を見かけると、そのほんの一部にでも、逆もまた真なりの視点に、仕組みとしてチャレンジして観たくなるときもあるのかも?^^個人としての内
インディペンデントで 2019.08.30 起業家であることに想う 「起業家」という生き方にも、様々なライフスタイルがあるんだなぁ~と観ていて参考にもなるし、楽しく思う。私は「起業家」のライフスタイルのうち、例え、どこかに属していたとしても「インディペンデント」が、自分にマッチするようだ。このことは結構、世間での大きなテーマ(問題)にも結びつ
10倍の目標を立てるから、10倍のパワーが出る理由 2019.08.23 ココロに想う素 10×いきなりですが、神田昌典先生のメールマガジン『仕事のインサイト365』より引用させていただきます。(ご関心のおありの方は、上記リンクから登録ページへアクセスできます)。(「インサイト」とは直訳すると、「洞察・見識・視野に入る」などのようです)。今回、引用したかっ
「陰陽」はニコイチだから ー 2019.08.11 ココロに想う素 この記事は、昨日の投稿(下記)の続編として綴ってみます。https://a-117.biz/archives/3683心配せんでも、永遠にどちらかだけということはないと、私は感じています。どちらかに偏れば偏るほど、自然(本能的な)の働きで、いつかは、もう片方に引っ張られる
まったりとしていて、それでいてコクがある^^? 2019.08.10 傾聴に想う素 聴いている時の反応の仕方や、そこに含まれるニュアンス(聴き手の気持ちや受け取り方)で、話し手さんの気持ちは、どんどんと変わっていきますよね。もし、「傾聴ばかりしていても、前向きに切り替わらないだろう」的に思うなら、それは表面的な浅い傾聴っぽいものになっているから……。または陰陽がニコイチなの
バタフライ~ 2019.07.04 ココロに想う素 あなたが いつだったか誰かに向けてしまった悪意あなたが遠く忘れた それはあなたの知らないところで誰かの楔となり 化膿して苦しめているかもしれないその悪意の蝶々が ひらひらと空を巡り巡って 別物になってぜんぜん違う流れから
絶望からの希望を見出だしていくために 2019.06.02 ココロに想う素 哀悼の意を強く感じながら、私には参考になった記事でした。(同記事を記した江川紹子さんは、かつて私が東京にいた頃、直接、学ばせていただいた先生のうちのお一人でした)。つい感情的になる余りに本質を観ようとせず、早とちりをしてしまうことは逆効果にしかならないと考えられます。同じ
ITAMI NO 渦 2019.05.28 ココロに想う素 平和に穏やかに暮らせているのは、とても良いのだけど、突き刺さるような痛みが、少しずつ少しずつ鈍化していくのも、それはそれで良いのだけど、時に、全身を覆う骨に刺さるような不安な事柄がやってくると、痛みの実感を思い出せるのも、それもまた良い。私は、痛みを忘れたくない、という選択を望ん