近づいて欲しくないような人まで寄ってくる 2018.12.10 起業家であることに想う あなたが来て欲しい人にまで引かれませんように集客・販促PR活動が進んで反響が上がるようになってくると、予想以上に様々な人が寄ってきます。中には、近づいて欲しくないような人まで寄ってくることもあるかもしれません。そこでWEBサイトに、「このような方は対象ではありません」と
見せかけの まやかしの イタタ…… 2018.12.06 起業家であることに想う 気が付かないのは本人ばかり誇大広告や、誇大ブランディングは違和感とともに、そう遠くないうちに見透かされますので、逆効果です。「誇大」に見せかけることは、泥沼を招きます。数年前よりは「誇大」を見抜く視点が世間に浸透しつつあるようですが、もっと浸透していくと、その先では、どう
誰かに消費されて、吸い取られませんように… 2018.12.04 傾聴に想う素 記憶がなだれ込む辛い過去を思い出してしまうと ……一気に、なだれ込んで来る時がある。そんなときは、全身が硬直するというか、ゾワゾワしてしまう。なだれ込むままにしていると ……また、壊れてしまうほど、強烈に痛い。壊れないように、思考をコント
使い方・使う人次第 2018.11.28 マーケティングに想う素 それ自体に「罪」はない道具や方法^^この記事では、マーケティング施策の開始時、リサーチの次に使われる『ペルソナ設計法』を例に考えてみます。(ここで言う『ペルソナ』とは心理学でいう「仮面」という意味ではありません)。ペルソナ設計とは「どのような人物に向
悪用 ダメ! 絶対 2018.11.28 マーケティングに想う素 「悪用 ダメ! 絶対」なんて、当たり前のことだとは思うのですが…… 際限のない、愚かな欲望のラットレース今も昔も、巷では、悪貨が良貨を駆逐するような事業者って見受けられますね。こうして記すこと・読むこと自体、気持ちの良いことではなく不本意なのですが、何
じっと佇み、愛猫を抱きしめながら、思い浮かんできたもの 2018.11.27 ココロに想う素 色々あるけど、私がどんなに失望感や絶望に囚われて、闇に行きそうになっても、ひとり泣いていても、希死念慮にとらわれ続けていた時も、じっと、じっと、横で一緒にいてくれた。心配そうに見つめていてくれた。今は穏やかな日々だけど、いつでも至近距離で居てくれている。この子
「毒親」という表現 ー どうも、しっくりこない 2018.11.27 ココロに想う素 前回の記事の後半などで、いわゆる「毒親」というキーワードを、取り急ぎ部分的に用いて記した。この表現の仕方について、最近の世間ではよく言われているので使ったものの、私にはどうも、しっくりこない感がある。このキーワードに、いわゆる、という前置きや「」を付けたのは、そういう意味で自分の言葉ではなく
「期待」より、「応援」 2018.11.18 ココロに想う素 「期待」より、「応援」このことは最近、私の周りではよく耳にするようになってきた感じがします。そこで関連キーワードで検索して出てきた以下の外部記事を読んで、(スポーツに限らないとも私は思いますが)、そうだよなぁと腑に落ちます。https://rkyudo-s
『批判的思考』というものについて 2018.11.11 ココロに想う素 Twitterなるもの私は今までTwitterをマメに観るということはしてきませんでしたが、今さらながらかもしれませんが、最近になって、たまにTwitterを頻繁に観るようになっています。改めて観てみると、いやぁ~、色んなツィートがあるものですね!当然、
「他人の不幸は(自己顕示に)蜜の味」ですか? 2018.11.08 ココロに想う素 何かと多忙状態が続いており、あっという間に、投稿がご無沙汰しておりまして失礼しております。では、早速、本題に入りますが、以下に記したのは、私自身、その全てがしっくり来ているわけではありませんが、現時点で言語化できる範囲で記してみたものです。まだ、書き手として色々と足りないものがあるな、と
「フェイク・ポジティブ・ハラスメント」(造語) 2018.11.06 ココロに想う素 ◇ Twitterも、心の声のリアルだなぁ~ある日、メンタルの痛みに関する、ある個人の方のツイートを見かけました。そのツイートは、モヤッとしてうまく言葉に出来なさそうなことを、実に明確に言い表していました。端的に言ってしまえば、アダルト・チルドレンの痛みに関するツイートで
自然災害と肌感覚 2018.09.14 心地よい風を求めて 上記画像は、Yahoo!天気・災害のWEBサイトより引用いたしました。引用元のページは、こちらとなります。9月6日の3時過ぎに北海道で発生した大地震は「北海道胆振東部地震」と名称されたようですね。(「胆振」は「いぶり」と読みます)。この地震で逝去の報に接し、心からお悔み申し上げます。