多ければ正しいとは限らへんやん 2019.04.25 ココロに想う素 数が多ければ(マジョリティであれば)正しいと断言されるかのような集団性からの同調圧力。多数決が重視されるばかり、少数派(マイノリティ)の声がかき消されたとしても、それだけでマイノリティの声が間違っているとは、本来は言えません。マイノリティが間違っているとは限らず、残念ながら今
「人を憎むことは ” イケナイコト ” 」?! 2019.04.25 ココロに想う素 多くの人が、「憎むことはいけないこと」と教えられきたと思いますし、このこと自体は、とても大事なことだと思います。 「闇は闇で消せない。光だけがそれを可能にする」という、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏(キング牧師)のとても有名な言葉、私はとても大切に記憶しています。
「怒りのエンターティメント」 2019.04.24 ココロに想う素 常々思うが、マスコミの報道は世間の「怒りのエンターティメント」を叶えるためにイメージ操作もある。油断して短絡的に見ているとイメージ付けに流されかねないのは、客観的なジャーナリズムからはかけ離れていっているということを踏まえたい。感情的に流されず「公平」に観ることが大切であろう
無理に許そうとしない 2019.04.23 ココロに想う素 どうしても 許せないことがあるのなら無理に自分を抑えつけて 許そうとしなくても許せない自分を ただ見つめたらいい許せない自分もダメじゃない執着心がでちゃうのもダメじゃない許せない自分に呑まれる必要もない増幅も抑圧もさせない 何もしないただ
「自分を許す」は嘘を付くことではない 2019.04.23 ココロに想う素 自分を許すとは、自分をごまかしたり嘘を付くことではないと思う。見直したほうが良いところは、素直に見直して、自分を責めない。その時は、そうしたかった理由があるはずだから責めなくてもいい。でも、世間で心地よく生きていくために見直しが必要なら、見直さずに正当
馴れ合いか、緊張を超えた先か 2019.04.22 ココロに想う素 薄っぺらい馴れ合いか緊張を超えたリラックス集中かどちらのほうがクオリティがあるか?ただし、ここで言う「緊張」とはいがみあうことでもなければ、せめぎ合うことでもない。相応の高次の志向性を持っている人間同士が集っている前提。そのような場は相互への理解や
「清濁あわせ飲む」に思う先 2019.04.22 ココロに想う素 起業したての20年ほど前、数年間、集客のことだけでなく、複数の自己啓発系にも、ガッツリ大枚も時間もかけてきたことがあります。その頃は、初めての世界で吸収することが面白く、さらに、イメージコンサルタントさんに教えてもらって外見も変えていくようにしたり……^^コーディネイトは?⇒
人が人を「救う・助ける」?! 2019.04.21 ココロに想う素 緊急時を別にして、日常において支援者から「(人の心を)救う・助ける」と言う使われ方を見かけると、脳内で(おこがましいのではないか)と思えてしまいます……。支援を受けた側が言っているのなら、まだしもですね。私は「お手伝いさせていただきます」という表現が、妥当だと思っています。
「別」人と 「鉄」人w 2019.04.20 心地よい風を求めて 人はそれぞれ、思考も志向も、生きてきた旅も、背負っているものもチガウ。それが「別」人ということでもあります。参考の1つとして刺激を受けるまでは良いだろうけど、囚われる必要もないでしょう。それは時に相手を縛り、自分をも縛ってしまうことになりかねません。リ
ー ” 何のためにイメージしているか “ (メモ) 2019.04.20 惹かせる文章に想う素 (頭に浮かんだことのメモ) 使う言葉の数々は、どこから発想を得たか? 言葉のチョイスは適切だろうか? 書き手として、どこまで吟味・検証したか? つい、近視眼的になっていないだろうか? 自分(たち)の世界だけに偏り過ぎていないか? 様々な他者視点を、どこまで想
” わかったつもりにさせる ” 心理コメンテーター 2019.04.20 ココロに想う素 ネットニュースやテレビなどのメディアによる報道は、私たちの生活の中でどこかしらで目にしますね。あえて、それらを見ないという方々も中にはおられますし、私もかじりついてまで見るほうではありません。そうは言っても世間で生きている以上、全く見ないというわけにも行かないでしょうし、仮に
霧モヤ 2019.04.19 傾聴に想う素 「心がモヤモヤして悩みから抜けられない」ということは、霧がかかっていて視えなくなっているということです。 その場合、自分自身の心を深く内観し続けていかないと、霧は漂い続けます。 他者を変えようとするのは無理でも、自らの内観は、その気になりさえすれば、小さな一歩から